サツマイモの歴史、日本で広まるまで~遠く離れた原産地と青木昆陽の活躍~

サツマイモの歴史、日本で広まるまで~遠く離れた原産地と青木昆陽の活躍~

今では日本人にとって非常に親しみ深い作物のひとつとなっているサツマイモ。原産地のアメリカ大陸から世界中を回って日本に伝わり、青木昆陽という人物の活躍によって日本で栽培が広まるまでの歴史をご紹介します。

サツマイモの生まれ故郷

サツマイモはもともとアメリカ中部、現在のメキシコ周辺で生まれ、紀元前のうちにアンデス地方など、アメリカ大陸の文明全体に広まっていきました。

ここまでは以前ご紹介したジャガイモの歴史と似ていますね。ペルー北海岸ではサツマイモをかたどった土器も発見されています。

アメリカ大陸が原産の野菜

サツマイモの他にも、トマト、トウモロコシ、ジャガイモなどの野菜。さらにはトウガラシやタバコといった作物がアメリカ大陸原産の作物です。この中でトマトとジャガイモの歴史については記事でご紹介しています。

サツマイモがアジアへ

15世紀の終わりに大陸の国家を征服したスペイン人がアメリカに持ち帰ったことで、ヨーロッパにもサツマイモが広まります。

ところが、比較的涼しい気候のヨーロッパ事態ではあまり栽培が広まりませんでした。その代わりに、ヨーロッパ諸国の植民地、つまりアフリカ大陸やインド、東南アジアなどの地域でサツマイモの栽培が広まっていきました。

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サツマイモが日本へ

1605年に琉球王国の使者が中国からサツマイモを持ち帰ったことで、本州に先駆けて琉球全土で栽培が始まりました。 その後1609年に琉球王国は鹿児島の薩摩藩に征服され、この時にサツマイモの栽培が薩摩藩に伝わったというのがサツマイモ日本伝来の有力な説の一つです。

このようにして薩摩から全国に伝わったことから、サツマイモという名称がつきました。また、薩摩に伝わったのと同じころ、イギリス人のウィリアム=アダムスが途中寄港した琉球の那覇港でサツマイモを知り、それを平戸に持ち帰って栽培を始めたと言われています。今でも鹿児島県は日本のサツマイモ生産量で圧倒的な一位を誇っていますね。

江戸時代、さつまいもは中国から伝わったという意味で「からいも」、中国での名称と同じく「甘藷」という名前でも呼ばれていたと伝えられています。

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青木昆陽とサツマイモ

上記の他にもサツマイモが日本に伝播したルートは複数あったと考えられていますが、とにもかくにも江戸時代中期のうちにサツマイモは日本全国に伝えられました。

そんなサツマイモの栽培を更に盛んにさせたのが青木昆陽(あおき こんよう)という人物でした。青木昆陽は享保の大飢饉に際して将軍徳川吉宗によって登用された人物で、著作『蕃藷考』(1735)の中で飢饉のときの代用作物として栽培を奨励し、その結果サツマイモの栽培が急速に全国に広まりました。

昆陽の施策によって、後に起こった天明の飢饉では多くの人が命を救われたと言われています。この功績によって青木昆陽は「甘藷先生」とも呼ばれています。

享保の大飢饉

1731年から1732年にかけて起こった米の不作による大飢饉です。1731年の終わりから雨などの悪天候が続き、翌年の夏も梅雨が2か月間続いて冷夏となるなど、西日本を中心に米の生育不良が発生しました。

また、これに重なって米の害虫であるイナゴやウンカの大発生も起こり、当時の食糧の中心であった米の生産量は大きく下落しました。

この飢饉では少なくとも数万人、一説によれば100万人近い人々が命を落としたと伝えられています。

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