ジャガイモの語源
今では日本の様々な料理に使われ、一年中食卓に上がらない日はないと言っても過言ではないじゃがいも。実はこのジャガイモはもともと、日本、もっと言えばアジアには存在しない野菜です。それではどのようにして日本で今のように食べられるようになったのでしょうか。まずは、ジャガイモの語源からさかのぼっていきましょう。
日本には安土桃山時代に、オランダ人によって観賞用として伝えられました。このときオランダ人たちがジャワ島のジャカルタを貿易の拠点としていたことから「じゃがたらいも」と呼ばれ、次第に今のように「じゃがいも」と呼ばれるようになったという説が、有力です。
ジャカルタ
現在のインドネシアの首都となっている都市で、オランダはこの地をジャワ島の植民地支配の拠点として、後には一時的にバタヴィアと改名した。オランダ東インド会社はこの地を拠点としてアジア貿易を管理し、東南アジアの香辛料取引を掌握した他、鎖国を始めた日本との交易を、出島を通した貿易によって独占した。
ジャガイモ、日本伝播の歴史
初めのうちは鑑賞用としてのみ用いられていたジャガイモ。この作物が食用として普及しはじめたのは、明治維新後の北の大地北海道でした。
北海道開拓史によって、「ジャガイモ」が北海道へ導入されると、もともと高原が原産であったじゃがいもは瞬く間に普及し、北海道を代表する農産物の一つになって今に至っています。明治時代には西洋料理に限定して用いられていたジャガイモでしたが、大正時代以後洋、食が市民に普及していくにつれて、ジャガイモは和食に用いられるようになり、今のように家庭料理に頻繁に用いられるようになりました。
余談ですが、男爵イモという品種名も北海道にゆかりの人物、函館ドッグの経営などで活躍した川田男爵という人物にちなんで名づけられています。
アンデスから世界へ
ジャガイモの原産地はアンデス山脈からメキシコにかけての高原地帯です。ジャガイモは西暦500年頃から栽培され、麦やコメが作られなかったアメリカ大陸において、トウモロコシと共にインカ帝国などの文明を生み出す重要な農作物になりました。その後大航海時代になり、インカ帝国を征服したスペイン人によってヨーロッパに伝わります。日本に伝わったときと同じく、しばらくは食用としてではなく観賞用としての栽培にとどまっていたジャガイモでしたが、30年戦争の中で深刻な食糧危機に陥っていたドイツでフリードリッヒ大王が栽培を奨励したことで、徐々に食用として用いられるようになりました。
ジャガイモは敵に畑を踏み荒らされてもある程度収穫できたことから戦争の被害を受けにくく、ヨーロッパで戦争が起こるたびにじゃがいも栽培が広まっていきました。現在では寒冷に強いこと、収穫率が高いことが高く評価されて、世界中で栽培され、その総栽培面積は小麦、トウモロコシ、米に次いで世界第4位となっています。
フリードリヒ大王
18世紀、ヨーロッパで戦争が多発していた時代、フリードリヒ大王はジャガイモ栽培を農民に強制し、飢饉から人々を救いました。大王の代でジャガイモ栽培は大きく広まり、大王最後の戦争となったバイエルン継承戦争は、互いのじゃがいも畑を荒らしあったため、「ジャガイモ戦争」とも呼ばれています。
ジャガイモ飢饉
イギリスでは19世紀中ごろにジャガイモ栽培が普及し、有名なフィッシュ&チップスの半分を担う、重要な作物になりました。そんなイギリスのお隣、アイルランドで19世紀に起こった大事件がジャガイモ飢饉です。風土に適していたこともあってイギリスより早く広まり、主食としてじゃがいもを栽培していたアイルランドでは食料を大きくジャガイモに依存していました。
ところが、1845年に始まったジャガイモ疫病の流行でそのじゃがいもの収穫は壊滅的になり、アイルランド全体が大きな飢饉に陥りました。飢饉による人々の体力不足はチフスなど様々な病気の大流行を引き起こし、約100万の人が犠牲になりました。また、この難を逃れて多くの人々がアメリカに渡り、今のアイルランド系アメリカ人のルーツになっています。かつてのケネディ大統領もその子孫の一人です。